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羽村市あれこれ

羽村市の歴史

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 江戸時代

縄文時代からの長い歴史のなかで、羽村市を語るに欠かせないのが、承応2年(1653年)、四代将軍家綱の時代に開削された玉川上水です。人口の増加で飲料水が不足した江戸へ水を送るため、幕府は玉川庄右衛門・清右衛門兄弟に、羽村市から四谷大木戸まで約43キロメートルに渡る開削工事を命じました。羽村市は、近世初頭まで小さな村でしたが、玉川上水の完成により、江戸幕府との交流が頻繁となり、上水取入口の村として脚光を浴びるようになりました。

 明治時代

玉川上水は、羽村市に江戸の文化を伝え、村の自治や経済に大きな影響を与えるとともに、その後の羽村市のまちづくりを担うことになりました。 明治22年(1889年)、羽村市・五ノ神村・川崎村の3ヶ村は、市町村制が施行されたのを機に合併し、羽村市の前身である西多摩村となり、明治26年(1893年)、神奈川県から東京府に編入されました。その翌年、青梅鉄道が開通し、羽村市・小作両駅が開設され、鉄道交通の恩恵を受けることになりました。当時は、農業を唯一の産業とした純農村でしたが、養蚕業に力を注ぎ、大正時代には「養蚕日本一の村」といわれるまでに発展しました。

 昭和時代

しかし、昭和2年(1927年)に起こった金融恐慌、その2年後の世界的な大慌の嵐に見舞われ、繭価は暴落し、養蚕はしだいに衰退していきました。農民は、経済の立て直しを図るため、乳牛による畜産を導入し、酪農家が急速に増え、「養蚕の村」から「牛飼う村」として知られるようになりましたが、その後、戦争の激化につれて飼料が得にくくなったことなどにより、牛の数も減少していきました。戦後、農地改革が行われ、多くの小作人が自作農となり、農業団体の再編成などが進められました。

昭和31年(1956年)町制を施行し、人口10,104人の羽村町が誕生しました。その後、上水道事業を開始するとともに、工場設置奨励の条例を制定するなど、工場誘致と都市基盤の整備に向けて動き出しました。

昭和37年(1962年)には首都圏整備法による市街地開発区域の指定を受け、新しい都市建設が始まりました。土地区画整理事業を重点施策とし、工業団地の造成を推進した結果、まちの経済的な発展の大きな支えとなる多くの工場が進出するとともに、道路・公園・下水道などの各種公共施設の建設が進みました。そして、地域住民のまちづくりへの大きな理解と協力により、様々な困難を乗り越え、現在の羽村市の大きな財産となる都市基盤と学校・保育園・図書館・公民館・スポーツセンター・児童館など、公共施設の整った活力にあふれる職住近接の都市へと発展しました。

 平成時代

羽村市町は、平成3年(1991年)に市制を施行し、人口52,103人の羽村市となりました。市制施行に伴ってスタートした、第三次長期総合計画では、「人と自然にやさしく 活力あふれるまち はむら」を将来像に定め、その実現に向けて施策の展開を図り現在に至っています。

(羽村市資料提供)